昨年12月末に安倍晋三首相が靖国神社を参拝してから、早いものでもうすぐ1年経つ。当時、日米関係は多少ぎくしゃくした。もともと安倍総理が好きではない日米の進歩派は、それ見たことかと中国や韓国と一緒に非難したが、それだけではない。日米関係を重要視し日本に好意的なアメリカの政権内外の人たちも、当惑を隠さなかった。より強固な日米関係をめざすいろいろな努力に、靖国参拝が水を差したからだ。「未来を語ろうと言っていた安倍総理が、過去に戻ってしまった」と、知日派である私のアメリカの知人は嘆いた。

 総理の靖国参拝が現地時間でクリスマスディナーの最中だったのも、まずかった。正月元旦にオバマ政権が重大発表をして、東京がてんてこ舞いになり、おせち料理を台無しにするようなものである。官邸ではだれもそれを考えなかったのだろうか。

 それ以来1年、世界ではいろいろなことがあった。ウクライナ情勢の劇的な展開は米ロ関係を大きく揺るがした。6月に樹立を宣言したイスラム国はイラクとシリアのかなりの部分を席巻し、激しい戦闘が続く。核開発をめぐるイランとの交渉は延期となり、エボラ出血熱は依然猛威を振るっている。オバマ政権はこうした問題への対処にてんてこ舞いだ。中間選挙では予想以上の大敗を喫し、ヘーゲル国防長官の更迭に踏み切った。政権はアジア・太平洋へのリバランス政策を堅持し、4月に大統領が訪日して日米同盟重視を再確認したものの、なかなか東アジアまで手が回らず、歴史問題どころではない。韓国や中国もそれぞれ問題を抱え、対日政策が微妙に変化しつつある。活発な外遊を繰り返す安倍外交の成果もあり、歴史問題は多少影を潜めたように見える。

 このことは、しかし歴史認識の問題が消えてしまうことを意味しない。中国や韓国の強力な宣伝活動もあって、アメリカの一部には依然日本が過去の問題に直面しておらず、反省していないという声がある。朝日新聞の過去の努力のせいもあって、靖国はともかく慰安婦問題については圧倒的に日本の分が悪い。

 10月なかば、米日カウンシルという日系人主体の民間団体の年次総会がハワイで開かれ、日米安保に関するセッションにパネリストとして参加した。その際、唐突に聴衆の1人(日系人の若い女性)から、「慰安婦の問題について日本は十分反省していると思うか」という質問を受けた。慎重に答えたけれども、難しい。来年は太平洋戦争が終わって70年という節目の年である。日系人の人々は、アメリカで他のアジア系アメリカ市民が様々な行事を行うのではないか、そのとき日系アメリカ人はどう対処すればいいのかと、悩んでいる。

 歴史認識の問題は、何も日本だけにあるわけではない。どんな国にも、歴史をどう認識するかについての問題がある。そもそも世界中の国際紛争には、必ず歴史的背景があると言っていいだろう。ウクライナ問題しかり、スンニ派イスラム教徒とシーア派イスラム教徒との争いしかり、イラク、シリア、イスラム国の問題しかり。中東地域は特にややこしい。

 最近イスラエルを訪れ、いろいろな人に会い、さまざまな場所を訪れた。そしてイスラエルのユダヤ人とパレスチナのアラブ系住民のあいだの対立は壮大なる歴史認識問題であると、改めて実感した。

 イスラエル建国の歴史は複雑だが、単純化すればユダヤ人が祖先の地に帰って自分達の国家を再建した。それにつきる。ローマへの大規模な叛乱を起こしパレスチナの地を追われ世界中を流浪したユダヤ人は、様々な苦難に遭いながら民族としての信仰や伝統を決して忘れず、いつか先祖の地へ帰ることを夢見つづけた。ユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」は、最後に全員が「来年はエルサレムで会おう」と謳って終わる。世界中のユダヤ人が実に2000年近く、それぞれが置かれた場所でそう謳い続けたのである。特にホロコーストを経験したユダヤ人たちは自らの国家の必要性を痛感し、戦後1948年、あらゆる政治・外交・経済・軍事の手段に訴え、イスラエルの建国を宣言した。旧約聖書創世記で神がアブラハムに「わたしはこの地をあなたの子孫に与える。エジプトの川からかのユフラテの大川まで」と約束した。この地に帰るのは彼らの権利である。

 しかし7世紀以降この地に到達し、幾多の王朝のもとで1000年以上住み続けたパレスチナのアラブ人にしてみれば、自分たちの土地を追われ、あるいは狭い自治区に押し込まれて、イスラエルの圧迫を受けるのは耐えがたい。イスラエルの市民となったパレスチナ人も、ユダヤ人が享受する市民としての権利と義務をすべて与えられてはいない。双方の過激派が暴力に走り、憎悪が増す。最近は衝突を防ぐために、ユダヤ人地区とパレスチナ地区を隔てる厚い頑丈なコンクリートの壁にが、続々と建てられている。物理的な壁は、心の中にも固い壁をつくる。隣人を壁で隔てる国家は、危うさを免れない。

 アメリカでも、黒人差別に関する歴史問題が依然くすぶっている。長く奴隷の境涯に置かれた黒人は、南北戦争後解放され市民権を与えられた。しかし差別はなくならず、現在でも黒人はあらゆる面で公平に扱われていないという不満が、彼らのあいだで根強い。最近、ミズーリ州のファーガソンという町で、未成年の黒人男性を射殺した白人警官が不起訴になったために大きな騒ぎとなり、一部が暴徒化したのも、その現れである。

 一方白人の側には、過去の差別は確かにまったく正当化できないが、黒人の一部がいつまでもその問題に執着して不平ばかり言っているのは言いがかりだという反発がある。加えて南部の白人は時に、奴隷制度を擁護したのはまちがっていたものの、南北戦争で戦い命を落とした父祖たちの勇気と献身を否定すべきでないと訴え、進歩派の白人や黒人と対立しがちである。

 たとえば南軍の軍人を葬った墓地が、今でもアメリカには総計100ヶ所ほどある。そうした墓地で南軍の旗を掲げるのを許すべきかどうか、これまで何回となく問題になり訴訟が起きている。最近まで南部の一部の州では議事堂のうえに南軍の旗を掲げていたが、黒人団体の強い抗議運動によって2000年、サウスカロライナ州を最後にすべて下ろされた。ただし今でもミシシッピー州の旗は、その左上の隅に南軍の旗を残している。

 オバマ大統領の人気が低下して盛んに批判される今日、2008年この人物が大統領に選ばれたとき雄弁に人種間の和解を説いて、多くのアメリカ人の共感を呼んだことを忘れがちである。ケニア人の父と白人の母のあいだに生まれたオバマは、当時一部の白人からは黒人であることを売り物にしていると非難され、一部の黒人からは十分黒人ではないと疑われた。それに対しオバマ候補は、むしろその背景ゆえに人種間の融和を強く説いた。

 大統領選挙の年の3月、オバマ候補はフィラデルフィアの憲法センターで人種関係について演説を行った。極端な白人非難をした自ら所属する黒人協会の牧師を非難し、同時に自分を育ててくれた白人の祖母が黒人に対し偏見に満ちた発言をしたのを覚えていると述べる。そしてアメリカは今でも完全な国家ではない、数々の間違いを犯してきたけれども、しかしこの国は同時に多くのことをなしとげた。アメリカの国民が一つにまとまって力を出しあえば、もっと多くのことが出来ると、前向きなメッセージを発した。

 苦難をだれかのせいにするのではなく、人の苦難に手を差し伸べ、自らの問題を自ら解決していこう。「アフリカ系アメリカ人は、過去の重荷を背負って生きていかねばならないが、過去の犠牲者になってはいけない」という言葉は、万人の心を打つ。

 今からおよそ150年近く前、南北とも多くの兵士が命を落としたゲティスバーグでの演説で、リンカーンは、

「生き残った我らがなすべきは、ここで戦った者たちが志なかばでやり残した貴い仕事に、新たな決意で取り組むことである。生き残った我らが取り組むべきは、行く手に控えている偉大なる使命を成し遂げることである」

と述べた。南北間、人種間の対立は、実際はそれから一世紀半経っても完全には解消していない。それでもリンカーンが将来に向かって指し示した使命を、アメリカは忘れていない。オバマはその道を歩み続けようと、フィラデルフィアで国民に呼びかけた。この大統領は最近理想を語らなくなったという批判もあるが、それでも決して自らのアメリカの夢を捨てていないはずだ。アメリカ人全体も同じである。そう信じたい。

 


 

agawa_icon

阿川尚之(あがわ・なおゆき)
慶應義塾大学総合政策学部教授。1951年4月14日、東京で生まれる。慶應義塾大学法学部政治学科中退、米国ジョージタウン大学外交学部、ならびに同大学ロースクール卒業。ソニー株式会社、日米の法律事務所を経て、1999年から現職。2002年から2005年まで、在米日本大使館公使(広報文化担当)。2007年から2009年まで慶應義塾大学総合政策学部長。2009年から2013年まで慶應義塾常任理事。
主たる著書に『アメリカン・ロイヤーの誕生』(中公新書)『海の友情』(中公新書)『憲法で読むアメリカ史』(PHP新書)(ちくま学芸文庫)『横浜の波止場から』(NTT出版)『海洋国家としてのアメリカ:パックスアメリカーナへの道』(千倉書房)(共著)など。
撮影 打田浩一