先日、トヨタ自動車が、燃料電池に関して世界で保有する5680件の特許を関連業界の企業に無償で提供すると発表し、注目を集めた。多くの企業が技術を活用し、周辺分野の開発を進めることにより、燃料電池車の普及が進むことを期待したものだ。

 こうしたアプローチは、今に始まったことではなく、既に、10年ほど前に、IBM社が、Linuxを利用するサーバーを販売するために、保有する500件ほどの関連特許を、オープンソース・ソフトウェアが無償で使用することを許可している。

 Linuxを活用した革新的ソフトウェアの開発が進み、相互運用が行われることにより、Linuxの普及がさらに進む。従来型のインダストリー・エコノミーと異なり、イノベーション・エコノミーにおいては、知的財産権は、ライセンス収入をもたらすだけではなく、市場をリードするために、参加者を増やそうという戦略であった。当時、マイクロソフト社は、OSソフトウェアの無償化に消極的であったが、3年後には技術情報の開放に踏み切った。ライセンス料金の完全無償化は見送られたが、商用目的でない開発途中の使用に関しては、完全無償となった。技術開発によって生まれたアイデアや発明を財産として守ると同時に、社会に役立て、新たな技術開発を促進しようという特許を無償で開放するのはなぜだろうか。

  イノベーション・エコノミーに鍵がある。イノベーションが次々と行われて行く経済においては、技術革新は過去の積み重ねの上に広がって行く。技術が複雑化、高度化したことにより、一つの発明が一つの製品を生み出すことは少なくなっている。何千もの発明によって一つの製品ができる場合、一つの発明の価値は、たとえその製品の根幹に関わるものであっても、相対的に小さくなっている。

 そうした場合、一個人や、一企業が製品の全ての特許を保有するわけではないであろう。まして、ネットワークや全く新しいシステムの場合、利用者が飛躍的に増えることによって機能や利便性が高まり、さらに利用者が増えるという好循環をもたらす。その結果、新たな市場が生み出される。多くの人間がその技術を利用することがまず大事である。Linux やウィンドウズのようなOSにしても、燃料電池車にしても広く普及してマーケットが出来ない限り意味がない。

 その技術への参加者を増やして初めてビジネスが生まれる。では、ソフトウェアや水素電池技術を無償で提供し、オープンソフト化した場合に、どこで利益を上げるのだろうか。これらの先端分野においては、技術を一旦渡してしまえば、それで全て終わりというほど単純ではない。絶え間ない、修正やメンテナンスのためのサービスが必要となる。第三者がすぐに真似したり、改良するのは容易ではない。時間と費用をかければ可能であったとしても、技術革新のスピードは早く、第三者がその技術のその後の革新をリードすることは容易ではない。最初の発明者は、利用者に応じた改良やメンテナンスだけでも十分にビジネスとなるが、さらに新しいサービスを考える上でも圧倒的に有利になる。つまり、特許を巡るビジネスモデルが変わってきた。

  イノベーション・エコノミーでは、パテント・プールや標準化必須特許の議論も欠かせない。特許プールとは、複数の特許権者が、コンソーシアムを結成し、ある技術に関する特許を持ち寄り、相互にクロス・ライセンスを認め、一定料率で使用を認める仕組みである。

 ライセンス契約をその都度交渉する手間が省けると共に、その技術に必要ないくつもの特許を一度に使用可能にするという利点がある。競合会社間で話し合うことになることもあるため、独占禁止法を考慮しながら進めることが必要になる。パテント・プールはMPEGといった動画ソフト、無線LAN、DVDなど様々な分野で活用が進んでいる。技術が標準化規格に採用されるような場合には、少数の特許権者から成るコンソーシアムが技術を押さえてしまっている場合も生じる。その場合、コンソーシアム外企業は、不当に高いライセンス料で特許権実施を受けなければ、標準規格に合致できない、という事態が発生しかねない。

 そこで、標準化必須特許については、その取扱いを、コンソーシアム・メンバーとその他企業で平等にすることが求められる。そこで、標準化必須特許については、特許侵害者に対する使用差止命令を制限し、「公平、合理的かつ非差別的」な条件での特許権実施を認めるべきだという判例が世界に広まってきている。パテント・プールは19世紀後半には始まっているが、近年、その重要性は飛躍的に高まってきている。

 


 

profile_photo  阿達雅志(あだち・まさし)
1959年、京都市生まれ。東京大学法学部卒業。 ニューヨーク大学ロー・スクール修士(MCJ、LLM )。同大Journal of international Law and Politics編集委員。総合商社勤務(東京、ニューヨーク、北京)、衆議院議員秘書を経て、法科大学院講師、外資系法律事務所勤務。東京大学大学院情報学環 特任研究員。参議院議員、ニューヨーク州弁護士。国内外のシンクタンクの国際関係、経済情勢調査研究プロジェクトに参加。雑誌等への寄稿の他、テレビでコメンテーターとしても活躍中