子供のときは汽車と飛行機ばかり追いかけていたのに、ある時期急に船が好きになった。高校進学の少し前、横浜に入港したオランダの客船「ロッテルダム」を見学したのがきっかけである。

 横浜に住む友人の父君からボーディングパス(乗船許可証)をもらって、2人で中へ入った往年の大西洋横断航路客船は、2階吹き抜けの食堂や600人以上入れる劇場など、驚くほど豪華だった。煙突のないその独特な船形は、あでやかな曲線を描き、ため息が出るほど美しかった。

 幼いころ両親に連れられてアメリカの客船、「プレジデント・クリーブランド」を見学したことがある。辺りが暗くなって、波止場を離れるこの客船は、光の城のように美しかった。その記憶が突然よみがえったのだろう。この時以後、客船の虜になった。

 時は1970年代前半。ジェット旅客機に押されて数が減ったと言われながら、横浜の港にはまださまざまな形と大きさの客船がやってきた。イギリスP&Oラインの「キャンベラ」、「オリアナ」、「ヒマラヤ」、「アーケディア」、「オロンセイ」。同じくイギリスはキューナード汽船会社の「QE2」。アメリカン・プレジデント・ラインズの「プレジデント・クリーブランド」と「プレジデント・ウィルソン」。スウェーデンの「クングスホルム」、ノルウェーの「サガフィヨルド」。香港の「コーラル・プリンセス」、オランダの「チワンギ」。ソ連の「バイカル」、大阪商船の「あるぜんちな丸」、「ぶらじる丸」。船が港に入る度にでかけ、運がよければボーディングパスを手に入れて、船内を見学した。

 客船は、幕末開港の際に築造された波止場と同じ場所にある大桟橋に停泊する。見学デッキから外国客船のなかへ一歩足を踏み入れると、そこは外国であった。アメリカやオーストラリアからやってきた観光客や、白い制服を身につけた船員が行き交い、英語の会話が聞こえる。客船特有のにおいがする。最上階の甲板から一番下の甲板までくまなく見学して回っているうちに、出港時間が近くなり、見学者は下船させられる。

 移動式の舷梯が外され、乗船口が閉じられ、出港準備が整う。岸壁ではブラスバンドが見送りの演奏を始める。陸と船をつなぐもやいが順々に岸壁のボラード(係船柱)から解かれ、最後のもやいが海に落ちたころ、客船は岸壁を離れ、汽笛を3声鳴らし、ゆっくりと動き出す。桟橋から十分離れたところで向きを変えて外海の方に舳先を向けるころ、それまで引っ張っていたタグボートが離れ、本船は自力で前進を始める。テープをにぎり、手を振る船客の声が、やがて聞こえなくなった。

 


 

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阿川尚之(あがわ・なおゆき)
慶應義塾大学総合政策学部教授。1951年4月14日、東京で生まれる。慶應義塾大学法学部政治学科中退、米国ジョージタウン大学外交学部、ならびに同大学ロースクール卒業。ソニー株式会社、日米の法律事務所を経て、1999年から現職。2002年から2005年まで、在米日本大使館公使(広報文化担当)。2007年から2009年まで慶應義塾大学総合政策学部長。2009年から2013年まで慶應義塾常任理事。
主たる著書に『アメリカン・ロイヤーの誕生』(中公新書)『海の友情』(中公新書)『憲法で読むアメリカ史』(PHP新書)(ちくま学芸文庫)『横浜の波止場から』(NTT出版)『海洋国家としてのアメリカ:パックスアメリカーナへの道』(千倉書房)(共著)など。
撮影 打田浩一