私が子供のころ、飛行機はまだめったに乗れるものでなかった。爆音がすると顔を上げ、上空を飛ぶ機影を仰ぎながめて、ひたすらあこがれていた。幼稚園の庭から大磯の空を横切る双胴機を目撃した鮮明な記憶があり、あれは米空軍の輸送機フェアチャイルドC119であったはずだ。

  あるいは羽田空港の見学デッキで、ダグラスDC7C、ボーイング377ストラトクルーザー、そしてロッキード・スーパーコンステレーションといった国際線を飛ぶレシプロ4発の大型旅客機を目にして、いつか乗ってみたいと夢見ていた。まだダグラスDC8、ボーイング707といったジェット旅客機が飛ぶ前である。

  中学生になってカメラを手に入れて、空港へ飛行機の写真を撮りにでかけるようになった。羽田にもでかけたが、よく行ったのは伯父の家があって毎年休暇を過ごした広島市西区の太田川放水路と天満川のあいだ、海の近くにあった旧広島空港(広島西飛行場を経て、現在は広島ヘリポート)である。瀬戸内海に向かって滑走路が突き出すこの小さなのんびりした空港では、今はもう見られない面白い形の飛行機が離着陸していた。東京から飛んでくる全日空のフォッカー・フレンドシップ、広島大阪便に就航する東亜航空のコンベアー240、広島と松山を結ぶ同じく東亜航空の小型旅客機デハビランド・ヘロンとエンジンを取り替えたその改造型タウロンなど

  小さなターミナルビルの屋上で、私は定期便の到着を気長に待っていた。やがてプロペラ機が独特の爆音を響かせながら、海の方角から飛来する。いったん空港の上を飛び抜けて市街地上空へ進み、大きく旋回して空港の方角へ機首を向ける。少しずつ高度を下げスピードを下げ、ゆっくりと着陸した。誘導路を進みターミナルの前で止まってエンジンを切る。空港に静けさが戻る。

  客を降ろし整備士が忙しく立ち働き、しばらくして準備が完了するや、新しい客が乗りこみ、プロペラが回る。滑走路の北の端まで進んだ飛行機は再び瀬戸内海を目指してふわりと離陸し、きらきら光る瀬戸内海の波の上で高度を上げ、安芸小富士の姿が美しい似島の向こうの空に姿を消した。


 

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阿川尚之(あがわ・なおゆき)
慶應義塾大学総合政策学部教授。1951年4月14日、東京で生まれる。慶應義塾大学法学部政治学科中退、米国ジョージタウン大学外交学部、ならびに同大学ロースクール卒業。ソニー株式会社、日米の法律事務所を経て、1999年から現職。2002年から2005年まで、在米日本大使館公使(広報文化担当)。2007年から2009年まで慶應義塾大学総合政策学部長。2009年から2013年まで慶應義塾常任理事。
主たる著書に『アメリカン・ロイヤーの誕生』(中公新書)『海の友情』(中公新書)『憲法で読むアメリカ史』(PHP新書)(ちくま学芸文庫)『横浜の波止場から』(NTT出版)『海洋国家としてのアメリカ:パックスアメリカーナへの道』(千倉書房)(共著)など。
撮影 打田浩一