乗りものを眺めるのに、ちょうどいい場所というのがある。

 改装前の東京ステーションホテルには「椿」というレストランがあって、窓のすぐ外に東京駅のホームが並んでいた。ひっきりなしに列車や電車が入線し、発車する。食事の相手がだれでも、話がどんなにつまらなくても、窓の外を見ている限り気にならなかった。

 先般仕事でロンドンに出張し、大英図書館を訪れたあと、すぐ近くのセントー・パンクラス駅に足を伸ばした。大陸へ向かうユーロスターの発着駅である。駅の構内を歩いて驚いた。ユーロスターの列車がプラットホームに停車するそのすぐわきに、バーが設けてあるのである。ワイングラスを傾けるあいだに、すぐ脇の高速列車が動き出し、発車する。今度ロンドンを訪れたら、ぜひあそこで飲もう。

 空港のレストランも、発着する飛行機を見るのにはいい場所だ。しかし天気のよい日にターミナルから少し車で走ると、滑走路のすぐ先で飛行機の離陸着陸を見られる場所がある。ワシントンのレーガン・ナショナル空港はポトマック川の畔にあって、滑走路のはしの水路を越えたところに、だれでも入れる公園がある。ハイウェーから公園へ入り駐車場に車を停めて、水路に立つ進入灯の真ん前の空き地で滑走路の方へ向いて立つ。ほどなく真上をジェット機が飛ぶ。離陸するときは滑走路を全速で走ってくるジェット旅客機が、グイと機首を引き上げて急上昇し、轟音とともに頭上を通り過ぎる。着陸の際には背後でジェットエンジンの音が響きはじめ、私の頭をかするようにして、すぐ目と鼻の先の滑走路にタッチダウンする。後輪が滑走路につく瞬間、埃が舞いあがるの。

 お金が余るほどあって、どこでも好きなところに住めるなら、汽車、飛行機、船をすべて間近に見られるところに住みたい。たとえばシアトルがいい。市街は海に面していて、目抜き通りにはかわいいストリートカーが走り、すぐそばをアムトラックの特急列車が通り抜ける。目の前のエリオット湾を、周辺の島へ向かういろいろな大きさのフェリーが行き交う。大きなクルーズ客船が出港する。シアトル空港へ離着陸する旅客機が上空を横切る。郊外のエバレットにはボーイングの大きな工場もある。

 市街の海沿いにエッジウォーターというこじんまりしたホテルがあって、昔ビートルズが最初の世界演奏ツアのときに泊まったそうだ。ホテルがファンに囲まれ一歩も出られない4人は、ホテルの窓から糸を垂れ、釣りをしたという。このホテルで一度朝食を採った。目の前の海と船を眺めながら、幸せとはこういうことかと思った。

 でもそんなところはなかなかないし、まして住めない。9年前アメリカから帰ってきたとき、真下を東海道本線、横須賀線、京浜急行の電車が走るマンションに住もうか、港の近くの船の汽笛が聞こえるマンションに住もうか、迷った。結局後者にして、休日になると港へでかける。運がいいと客船の入港や出港に遭遇する。しばらく住んでいるうちに、風向きや時間によって、羽田空港を離陸した飛行機が真上を飛ぶことに気づいた。高い空を、ジェット旅客機が、かすかにエンジンの音を響かせて横切る。

 年を取って仕事をやめたら、港に面した公園のベンチに腰掛け、行き交う客船、観光船、タグボートや水先案内人のボート、そして上空を飛ぶ旅客機やヘリコプターを一日中見ていたい。

 


 

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阿川尚之(あがわ・なおゆき)
慶應義塾大学総合政策学部教授。1951年4月14日、東京で生まれる。慶應義塾大学法学部政治学科中退、米国ジョージタウン大学外交学部、ならびに同大学ロースクール卒業。ソニー株式会社、日米の法律事務所を経て、1999年から現職。2002年から2005年まで、在米日本大使館公使(広報文化担当)。2007年から2009年まで慶應義塾大学総合政策学部長。2009年から2013年まで慶應義塾常任理事。
主たる著書に『アメリカン・ロイヤーの誕生』(中公新書)『海の友情』(中公新書)『憲法で読むアメリカ史』(PHP新書)(ちくま学芸文庫)『横浜の波止場から』(NTT出版)『海洋国家としてのアメリカ:パックスアメリカーナへの道』(千倉書房)(共著)など。
撮影 打田浩一