アメリカ合衆国最高裁判所は、毎年10月に開廷され翌年の6月下旬まで審理を続ける。この期間を開廷期(Term)と呼ぶ。7月はじめには長い夏休みに入り、10月に次の開廷期がやってくるまで、9人の判事たちはそれぞれ本を書いたり講演をしたり、あるいは避暑にでかけたり、思い思いに過ごす。

 最高裁は下級審判決からの上告をすべて取り上げるわけではない。予備的な審査を経て取り上げると決めた事件は、まず当事者の代理人が口頭弁論を法廷で行い、判事が質問をする。そのあと原則としてそのときの開廷期が終わるまでに判決が下される。最高裁は夏休みに入る直前に毎年重要な判決を下す傾向がある。最高裁判事といえども人の子。難しい宿題は後回しにするのだろうか。開廷期終了直前の数日間、アメリカ最高裁ウォッチャーは目が離せない。そして2014年にも、6月末に重要な判決がいくつか下された。その一つは6月25日水曜日に発表されたライリー対カリフォルニア事件判決である。

 上告人のデヴィッド・ライリーは、2009年サンディエゴ市内を車で走っている最中に、警察官から停車するよう命じられた。フロントガラスに貼った車両登録証の有効期間が切れていたためである。警察官がライリーの車内をのぞくと、実弾をこめた拳銃がみつかったため、ライリーを逮捕。さらに彼が所持していた携帯電話を調べ、ギャング団との交信記録を発見した。携帯電話のデータには、最近起きた発砲事件との関わり合いを示す交信記録も含まれていた。ライリーはその後さらに取り調べを受け、殺人未遂の容疑で起訴される。

 裁判の結果ライリーは、15年から終身まで幅のある実刑を宣告された。これに対し、ライリーは警察官が捜査令状のないまま携帯電話の中身を調べたのは、令状なしの「不当な捜索・押収・抑留」を禁止する合衆国憲法修正第4条に違反すると主張、判決の無効性を訴える。そしてこの事件は連邦最高裁に上告され、取り上げられた。

 この事件以前には、現行犯逮捕の際になされる容疑者所持品の捜索は令状なしでも許されるというのが、判例にもとづく修正第4条の解釈であった。容疑者が証拠隠滅をはかる恐れがあるし、武器を隠し持っているかもしれない。それが理由である。しかし最高裁はライリー事件で初めて、しかも全員一致で、逮捕時に令状なしで携帯電話の中身を捜索するのは違憲との決定を行った。

 携帯電話は、これまで捜索押収が許されていた普通の所持品と内容がまったく異なる。今日のスマートフォーンなど携帯IT機器は、従来の携帯電話をはるかに越える容量のデータを内包できる。その内容を調査すれば、保持者の生活のほとんど全ての面について情報が得られるだろう。何をしているのか、誰と話しているのか、どんな情報を外部からアプリで得ているのか。そのなかにはきわめて個人的な情報もある。携帯IT機器はその所持者そのもの、あるいはその人の一部だといってよい。これまで捜索が認められていた財布や鞄の中身とは、得られる情報の質も量も異なる。したがって現行犯逮捕のときには所持品の捜索を令状なしに行ってもいいという、これまでのルールが当てはまらない。法廷意見を著したロバーツ首席判事は、豊富なIT機器に関する知識を披露しながら、このように判示した。

 最高裁はライリー事件判決を下した5日後の6月30日にも、重要な判決を下した。バーウェル対ホビーロビー社事件判決である。アメリカの全国紙とテレビは、この裁判の結果を一斉に報じた。

 オバマ政権は、全国民に健康保険の恩恵をくまなく与えることをめざして国民皆保険を提案、多くの国民をまきこんだ論争の末、いわゆる「手の届く医療法」(Affordable Care Act)(ACA) が2010年に議会で可決・成立した。一般には「オバマケア」と呼ばれる法律だが、その制定以前から、健康保険への加盟を国民に強制する権限は連邦政府にない、したがって同法は違憲だとの強い意見があった。そして同法の施行後、多数の訴訟が提起される。

 しかし2012年6月末、やはり開廷期終了の直前になった、最高裁はACAは合憲であるとの画期的な判決を下す。法廷意見を著したロバーツ首席判事は、健康保険に加入しない個人に罰金支払を命ずる権限は、憲法が連邦政府に与えた課税権の一部であると解釈して、この結論を導きだした。5対4で下された本判決には、現在に至るまで強い批判がある。それでもなお、この全米個人企業連合対セベリウス事件判決は、オバマ政権が心血を注いで実現した国民皆保険制度の存続を最高裁が僅差で守った判決として、大きな関心を集めた。

 さて、こうして制定されたACAは、一定規模以上の企業が従業員の健康保険料の一部を負担するよう義務づけている。そしてACAがカバーする医療費のなかには、女性従業員が避妊のための医学的措置、器具、薬品のために支払った代金が含まれる。

 これに対しクラフト販売の店を経営するホビーロビー社と、木工製品を製造するコネストガ社が、ACAのこの条項は両社の信教の自由を侵害するゆえに違憲だと主張、支払いを拒否して訴訟を提起した。両社ともクリスチャンの家族が自社株式のすべて保有する、いわゆる閉鎖会社である。日頃、キリスト教の信仰に基づく経営を心がける両社は、事後に受精卵を流してしまう、いわゆる「翌朝避妊薬」など一部の避妊手段は妊娠中絶と本質的に変わらず、彼らの信仰上受け入れがたい。そう主張した。

 下級審からの上告を受けこの事件を取り上げた合衆国最高裁は、やはり5対4の僅差でACAの当該規定を違憲と判断した。法廷意見を著したのは、サミュエル・アリト判事である。キリスト教を信条とする家族経営の閉鎖会社に避妊費用をカバーする保険料支払いを強制するのは、憲法修正第1条が定める「信教の自由」原則を犯す。それゆえに違憲である。そう判断した。

 本事件で争われた憲法上の最大の争点は、憲法修正第1条の「信教の自由」原則が、企業にもあてはまるのかどうかである。法廷意見を著したアリト判事は、少なくともこの事件の当事者である閉鎖会社は、自らの信仰を堅持する憲法上の権利を有する。そもそも企業は人の集まりである。閉鎖会社に信教の自由原則を当てはめるのは、企業そのものの信仰ではなく、会社を構成する人々の信仰を守るためである。避妊を選択する女性へその手段を平等に与えることが政府にとってきわめて重要な目標だとしても、それは企業の信教の自由を侵さなくても可能なはずだ。たとえば企業に保険料を払わせず、政府自らが費用を負担すればいい。アリト判事はそう述べた。

 これに対して反対意見を著したギンズバーグ判事は、企業には信教の自由原則は当てはまらないと、法廷意見に真っ向から異を唱えた。企業の目的は利益を生み出すことにあり、信仰に生きることではない。そのような解釈を許せば、多くの似たような企業が信教の自由を、最低賃金や男女平等賃金などに関わるあらゆる規制に従わない口実とする可能性がある。その結果不当な差別がおこりかねない。危険である。そう反論した。

 ライリー事件の判決では、最高裁が令状なしの不当な捜索・押収・抑留を禁じる憲法修正第4条の解釈にあたり、ITなど技術の発展を考慮した。個人の自由、プライバシーの保護、犯罪被疑者の権利にとって、技術の進歩はどんな意味をもつのか。技術の進歩と、憲法・法律との関係について考えさせる。

 一方、ホビーロビー社事件判決は、一体会社とは何か。会社の経営理念や信仰は憲法で守られるべき自由でありプラバシーであり、権利であるのか。福祉や平等と信教の自由は両立するのか。そうした古くて新しい憲法上の問題を考えさせた。

 自由やプラバシーといった憲法が掲げる理念について語るのはやさしいが、実際に今日生起する具体的な問題に応用しようとすると、なかなか難しい。

 


 

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阿川尚之(あがわ・なおゆき)
慶應義塾大学総合政策学部教授。1951年4月14日、東京で生まれる。慶應義塾大学法学部政治学科中退、米国ジョージタウン大学外交学部、ならびに同大学ロースクール卒業。ソニー株式会社、日米の法律事務所を経て、1999年から現職。2002年から2005年まで、在米日本大使館公使(広報文化担当)。2007年から2009年まで慶應義塾大学総合政策学部長。2009年から2013年まで慶應義塾常任理事。
主たる著書に『アメリカン・ロイヤーの誕生』(中公新書)『海の友情』(中公新書)『憲法で読むアメリカ史』(PHP新書)(ちくま学芸文庫)『横浜の波止場から』(NTT出版)『海洋国家としてのアメリカ:パックスアメリカーナへの道』(千倉書房)(共著)など。
撮影 打田浩一