一昨年、スティーブン・スピルバーグ監督の『リンカーン』という映画が公開され、全米で大きな反響を呼んだ。リンカーンを演じたダニエル・デイ・ルイスは、アカデミー賞主演男優賞を獲得した。1865年1月、リンカーン大統領がいかにして反対派の強い抵抗を抑え、議会下院での憲法修正第13条可決を実現し、恒久的な奴隷制度廃止に道を開いたかを真っ向から描く、歴史大作である。

 この映画は昨年日本でも公開され、安倍晋三首相が一般の映画館で鑑賞して話題になった。首相は映画を見たあとに記者団から感想を問われ、「常に指導者は難しい判断をしなければいけないということだ」と語ったという。日本国憲法第96条の改正によって、まず憲法が定める改正手続きそのものを変え、それによって将来憲法の個別条項改正を実現させたい。そう考える安倍首相は、あらゆる政治手段に訴えてでも憲法修正実現をめざすリンカーン大統領の苦心と苦悩に、共感したのだろう。メディアはそうコメントした。

 しかしこのニュースには、映画『リンカーン』で取り上げられた修正第13条草案可決について、総理もメディアも触れなかったことがいくつかある。

 第1に、下院による修正第13条可決には、3分の2の賛成が必要であった。合衆国憲法第5条は、議会は上下両院それぞれ3分の2の賛成によって憲法修正(改正)を提案すると定める。この規定は1788年にアメリカ憲法が発効して以来、一度も変わっていない。アメリカ憲法には他にも、条約の批准や最高裁判事任命の承認には議会上院の3分の2の賛成を必要とするなど、同じような規定がいくつかある。

 憲法96条改正を唱える人々の一部には、改正の発議・提案に衆参両院それぞれ総議員3分の2の賛成を必要とする現在の規定は厳しすぎて実質上改憲を不可能にするとの議論があるが、アメリカ憲法と日本憲法の提案要件はこのとおり同じである。(厳密に言えばアメリカ憲法の場合、判例により定足数を満たす出席議員の3分の2の賛成で提案できる。96条はこの点、必ずしも明確でない)。

 この条件にもかかわらず、アメリカではこれまで33回修正が提案され、そのうち27回批准され発効している。占領軍のロイヤーたちが、改正をことさら難しくするためにわざとこの規定を設けたという説は、日米の要件が同じであることを考えると、いささか説得力に欠ける。憲法96条の規定は、日本国憲法がこれまで1度も改正されなかった主要な理由では、必ずしもなさそうである。

 第2に、下院が可決したのは修正第13条の提案であって、改正にはさらに各州での批准を要した。前年上院がすでに可決していたので下院可決によって提案手続きは完了したが、州による批准の完了と修正第13条の発効は1865年12月である。

 合衆国憲法第5条は、修正条項発効には4分の3の州での批准が必要だと規定する。批准は各州議会、もしくは各州で別途開催される批准会議でなされる。4分の3という要件は、そもそもアメリカ憲法そのものが9州の批准により発効すると定めた、第7条の規定に合わせたのだろう。9州は、1787年に憲法を起草した12州のちょうど4分の3にあたる。(残る1州ロードアイランドは制憲会議に代表を送らなかった)。

 この規定が厳しいかどうかは別にして、現在の合衆国では批准のための投票を全州の議会で50回繰り返し、そのうち38州で可決批准しなければ憲法の修正はできない。かなり煩雑で面倒だ。日本国憲法の場合、2007年に制定された国民投票法にしたがって、国民投票を全国一斉に行うわけだから、1回ですむ。アメリカより簡単そうである。

 第3に修正第13条の提案が可決されたとき、アメリカは南北戦争の最中であったので、奴隷制度を守るために合衆国を脱退した南部諸州の議員は連邦議会議事堂には一人もいなかった。もしいれば南部出身議員の反対により、上下両院とも修正提案を可決できなかったはずである。そもそも憲法修正第12条が1804年に制定されてから約60年間、一度も憲法修正はなされていない。南北の対立が激化し、どの政党も3分の2の賛成を得る力がなかった。議会の党派対立が深刻な状況では、3分の2の提案要件は確かに厳しい。

 ただし脱退州の議員がいなかったとはいえ、修正第13条提案を審議した議会、特に下院には、奴隷制度廃止に反対の議員が依然として多数おり、当初の票予測によれば3分の2の賛成を得るのに13票足りなかった。映画『リンカーン』が描くのは、大統領がこの13人をときには脅し、ときには連邦政府の役職を約束し、現金を手渡しと、あらゆる手段を用いて賛成票を投じるよう仕向ける、その様子である。修正第13条可決の過程は政治そのものだった。

 第4に、1865年4月に南部が降伏して南北戦争が終わったあと、南部各州は修正第13条の批准を強いられた。さらに1868年には解放された奴隷に市民権を与える修正第14条、1870年には黒人の投票権を確立する修正第15条を、同様に批准させられた。敗戦の代償として南部諸州は望まない憲法修正を受け入れたのである。負けた以上13条の批准はしかたないとしても、14条の批准は連邦軍による占領下の押しつけである。南部諸州は必死に抵抗したが、結局連邦復帰の条件としてしぶしぶ批准した。

 その意味で、修正第13条と14条は、日本国憲法の第1条(象徴天皇)、第9条(戦争放棄)と似ている。南北戦争に敗れた南部諸州、太平洋戦争に敗れた日本、どちらもアメリカ合衆国が半ば強制する憲法条項をのまざるを得なかった。

 安倍総理は日本国憲法改正を望む理由の1つに憲法制定過程の問題を挙げるが、押しつけ憲法の元祖である修正第13条の映画を見て、そのことを考えただろうか。

 修正第13条と修正第14条の制定過程は、安倍首相の憲法96条改正提案を我々がどう考えるべきかという問題と、直接には関係がない。戦後だけでもアメリカは6回、フランスは27回、ドイツは58回憲法を改正しているのに、日本は一度も改正していないという総理の指摘はそのとおりだし、私も憲法第9条2項は削除すべきだと思っている。89条もなんだか変だし、97条は盲腸みたいなものである。

 ただアメリカの憲法史を見ると、憲法改正ができるかどうかは、必ずしも発議提案の要件が厳格かどうかのみで決まらない。そう思われる。修正第13条改正の経過を見ても、憲法改正はしんどくて、簡単にはできない。それにあんまり簡単にできてもまずい。

 もし96条を改正して総議員の過半数による発議提案にするなら、いっそのこと国民投票の要件を3分の2にしたらどうだろう。憲法改正の発議提案が容易になって、何度も国民投票ができる。そのたびに国民は憲法について真剣に考える。議論が盛り上がり、理解が深まる。しかも簡単に憲法改正は実現しない。18歳以上の国民3分の1(約2000万人?)の反対は重い。それを何とか説得せねばならない。簡単な過半数よりはいいように思うのだが。

 映画『リンカーン』は、他にもアメリカの歴史や憲法について、日本への影響もふくめいろいろなことを考えさせる。

 


 

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阿川尚之(あがわ・なおゆき)
慶應義塾大学総合政策学部教授。1951年4月14日、東京で生まれる。慶應義塾大学法学部政治学科中退、米国ジョージタウン大学外交学部、ならびに同大学ロースクール卒業。ソニー株式会社、日米の法律事務所を経て、1999年から現職。2002年から2005年まで、在米日本大使館公使(広報文化担当)。2007年から2009年まで慶應義塾大学総合政策学部長。2009年から2013年まで慶應義塾常任理事。
主たる著書に『アメリカン・ロイヤーの誕生』(中公新書)『海の友情』(中公新書)『憲法で読むアメリカ史』(PHP新書)(ちくま学芸文庫)『横浜の波止場から』(NTT出版)『海洋国家としてのアメリカ:パックスアメリカーナへの道』(千倉書房)(共著)など。
撮影 打田浩一